タイトル画像

足利「碧画廊」個展

2009.11.09(05:28) 346

P1060180.jpg

「無明」


P1060179.jpg

黒陶「傭」

P1060148.jpg

「影」(素材:ゴム、木)

P1060166.jpg

P1060176.jpg


P1060160.jpg


P1060171.jpg


「吊体」


P1060158.jpg


P1060111.jpg


P1060103.jpg

P1060104.jpg


P1060106.jpg

「DOTT」

P1060116.jpg


今ではもうすっかりあきらめたけれど、以前はついつい愚痴ってしまうことも
多かった。

“焼きもの屋と一緒になったはずなのに・・・・・”


友成潔さん

京都で轆轤を学んだ後、丹波篠山の窯元で修業、自分の窯は栃木県
益子町道祖土(さやど)、人間国宝浜田庄司氏とは同じ町内だった。

その頃は民芸品がブームになっていた時代で、若い人たちが続々と益子に
集まってきて、活気に溢れていた。

ほんの2,3年土をいじったばかりの人でも、もう一人前のように、作ったものが
どんどん売れていくのは恐いようだった。

「民芸」という言葉が「稚拙」の意味に変わってしまうのではないかと、見る人は
みていたと思う。

もちろん、しっかりした技術を持って、伝統を守っている作家も多く、独自の
個性を色濃く出している仲間達も多かったが、潔さんの作品はそのような
作家達と比べて、かなり異色だった。

京都・丹波で学んだ伝統的なさまざまな技術の裏付けがあったのと、
垢抜けしたモダンな発想は、食器を作っても茶道具を作っても、誰のものとも
違う彼の独特の持ち味があって、支持してくださる方達も多かった。

私も見よう見まねで食器を作って、それを使って料理をするのを楽しんだが、
彼がモダンアートに徐々に移行するに従って遠くなってしまった。

毎年4月に上野の美術館で行われているモダンアート展では、奨励賞、
彫刻部門賞などを受賞し、また若い作家にとっての登竜門であった日陶展
でも、他の部門にくらべて非常に狭き門であった前衛部門で連続出品。
1991年には日本陶芸展賞受賞!
京都、走泥社の同人にもなって、ここまで来ると、私も工芸家の嫁になる夢、

“仲良く一緒に土をひねって食器を作って器に合わせて料理して・・・・”

という夢ははかなくなっていった。

飛駒に移ってからも、大きな登り窯を築いたものの、作品はどんどん焼きものとは
離れていって、遂に平面に。

ただ一貫して扱う素材は土。(もちろん土以外の素材を扱った作品も何点か
ありはしても。)

今回の「碧」画廊での個展は、過去の作品も多く展示、あぁ、こんな作品も
あった、あんな作品もあったと、それぞれ作られた時期のことを思い出した。

日陶展最初に出品した作品「傭」は黒陶、焼き上がった丸い球体を磨きに磨いて
艶をだした。
その磨きに熱中したあまり、寝ていても手は磨く作業をやめず、あきれるより
精神状態に不安を感じるようだった。案の定、つむじの近くに円形の脱毛が・・・

本人は気がつかないようだったので、私も見て見ぬふり、ところが床屋さんで
ばれてしまった。

「知ってた?」
「えぇ、知ってた。」

と、まあ、今となっては懐かしい思い出。
そんなことまで思い出させる今回の個展、最新作の「無明」は、その黒陶が
平面に姿を変えて堂々と出現。

私がキャットショーやコンサートで家を空けている間に、工房ではこんな大作が
生まれていたのかと、びっくり!

表面に触れてみると、あ、黒陶のあの感触!

「磨いてあるんだ。」
「ふーん、そうなんだ。」

だけの会話。でも心の内は

“やったわね、すごい!!!”

コンセプトは「作らないこと」、あくまで主役は「土」と土にこだわってきた友成さん、
「吊体」、「ドット」、「水滴」と、作品はその姿、表情を変えながら、底流にあるのは
私たちの命の源「土」。

工芸作家の嫁にはなれなかったけれど、前衛作家の嫁でも、まぁよかったかなと
そんな風に思えた今回の個展でした。












魅せられて・・・バーミーズ


<<3日目のオープニング? | ホームへ | 「フィリップ・ジャルスキー&ラルペッジャータ」その2>>
コメント
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://hikomaburmese.blog38.fc2.com/tb.php/346-033aead8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)