「誰かがどこかで」ー虹色の糸ー
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- 2009/06/30(Tue) -
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(こちらもまた・・・「・ソプラニスタ岡本さん」と重なりますが・・・)
「誰かがどこかで」ー虹色の糸ー バーミーズという少々マニアックな猫種の繁殖を始めてから25年以上30年弱という ながーいながーーーーい年月が経ちました。 幸い未だにバーミーズのブリーダーさんは非常に少なく、ほとんど私 "hikoma"か大阪の "Putitloup"キャッテリーの繁殖猫ということになりますので、血統書を見ると大体どこから きた子かわかります。 (お顔のお写真だけでもある程度予測できます。) つい先日もまた1通の血統書がファックスで届きました。
曾祖父母のところに、いましたいました!懐かしい“Brandy君”“レモンちゃん”
大阪のPetitloupさんに行った私の繁殖の子たちです。 それから、もう一方の「祖母」「曾祖父母」に 『UTAGAWA』キャッテリーが! 『UTAGAWA』キャッテリーはCFAのあるジャッジさんのキャッテリー名。 I ジャッジは主としてペルシャ、ヒマラヤンなどのブリーダーさんとして有名でしたが、 バーミーズの繁殖も手がけたことがあって、その繁殖の難しさを良くご理解していた ジャッジさんでした。 「ほんとに、この猫種の繁殖は難しい! 良くこれだけのバーミーズを作っていますね!」 そんなお言葉が嬉しくて、CFAにエントリーするときはドキドキハラハラ、今日はどのように 見てくださるか??? グルーミングやコンディションがうまくいっているときにはとても良い評価を、そしてうまくいかなかったときにはそれなりの厳しい評価を与えてくださいました。 ファイナルインを逃しても、「次にがんばろう!」というファイトが湧いてきました。 そして、最高のコンディション、グルーミングで連れて行けた時には 「さぁ、これでどうですか? いいでしょう?」 と、言葉にはしなくても、その緊張がいいようのない魅力であったためCFAのショー、 それも I ジャッジの審査が入っているショーには必ずエントリー、いそいそと猫と共に参加しました。 フランスから言われもない理由で返されてきた阿修羅君がCFAの年間アワードでベストキャットになった時には、本当に喜んでくださって、それまであまり参加したことのないアワードパーティーにも出席して祝ってくださるおつもりだったと、後に奥様から伺いましたが、残念なことにパーティーを待たずに亡くなられてしまいました。 大阪のショーに行く途中のことでした。 「良ければよい、わるければわるい」 そんな単純なことですが、意外にストレートな評価を与えてくださるジャッジさんは少ないものです。 I ジャッジの存在、ほんの一寸した言葉がどれほど私にとって繁殖していく上で励みになったか、 計り知れません。 I ジャッジのご逝去で、ぽっかりと空いてしまった大きな空洞は未だに癒されることはありません。 なぜ、I ジャッジがバーミーズという繁殖の難しい猫種に関わったのかとふと考えてみることが あります。 バーミーズのコートを長ーくのばしてみると、どことなくPSさんのイメージに。 あ、そうか、I ジャッジはバーミーズにショートになったPSさんを重ねて見ていたのかな? そう言えば、わたしもPS、それもブラックのPSさんが出てくると思わず惹きつけられてしまうのも それかも? PSさんとBUさん、結構共通するものがありそう・・・・・・・ 一通の血統書、なんと貴重な「血のルーツ」がそこに刻まれているか、なんと貴重な「縁」がそこに物語られているか、胸にずんと重く来た、クリケット君の血統書でした。 |
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